· 

ハンセン病療養所の将来構想とまちづくり③ 長島愛生園・邑久光明園

 本特集では、日本で唯一、2つの国立ハンセン病療養所を擁する岡山県瀬戸内市を訪問した。同市の長島には、全国13の国立ハンセン病療養所の中で「将来構想」の先駆的役割を果たしている長島愛生園と邑久光明園がある。両園の「将来構想」について、背景や内容、進捗状況について、さまざまな関係者への取材をもとにレポートする。

長島全景
長島全景
長島愛生園
長島愛生園
邑久光明園
邑久光明園

自治会長たちの想い

中尾会長と 長島愛生園歴史館の田村朋久主任学芸員
中尾会長と 長島愛生園歴史館の田村朋久主任学芸員

 愛生園自治会の中尾伸治会長は「将来構想を『運動』として位置付け、入所者の過去をどのように残すのかを皆で検討している」と語る。「隔離されたことと国の開放政策が遅かったことでは一致しています。強制でも助けられたにしても収容されたことは事実。病気が治ったことが証明されても解放されなかったのはハンセン病患者だけなのです。」入所者全員が将来構想に賛成しているわけではない。同園では、日本各地から皆が違う方法で強制収容されてきた経緯がある。家族と無理やり離された人、家族全員で連れてこられた人等、皆が重い過去を背負っている。「過去の残し方」には各人の想いがあるため、一人ひとりの話をじっくり聞くことに気を配った。その甲斐もあり、世界遺産として残す運動を始めた頃には、「この人は反対するな」と思っていた人が、「これも一つの方法やな」と言ってくれたという。

 

 中尾会長は、奈良県生まれで1948年に13歳で入所。乳絞りをはじめいろいろな園内作業に携わった。ごみの収集をきっかけに、古い焼き物や道具に興味を持って集めたこともある。「それら生活の証として残したいですね。子どもの頃に遊んだ防空壕や食物貯蔵の穴も同様です。」最近は長島愛生園歴史館のジオラマ模型に刺激を受けている。「よくできていますが、少年時代に過した環境が復元されていません。それを作ってみたら面白いだろうなと思っています。」

屋会長(向かって右)
屋会長(向かって右)

 邑久光明園自治会の屋猛司会長は、人権教育の場として残すことを重視する。「そのための基礎だけは作っておきたい。あとは、ボランティアや学芸員たちに引き継いでもらわねばなりません。たとえ世界遺産にならなくても、皆さんに知ってもらうことが大事だと思います。その過程でハンセン病に対する理解が進めばよい。運動を継続することが大事なのです。どういう意味があったかは、あとの世代が決めてくれることでしょう。」

邑久光明園としては「福祉タウン」も掲げており、特別養護老人ホームを誘致した。「平均年齢が86歳になり、入所者は徐々に減っていきます。残された人は寂しい思いをするでしょう。特養があれば、入居者や身内が来て施設間の交流が進むと考えたのです。」

屋会長は奄美渡島生まれの大阪育ち。1974年に32歳で入所した。青年時代は相撲や柔道に打ち込んだという。「初代若乃花の時代で、花籠部屋巡業の時、若い人ともよく一緒に相撲を取りました。」当時の入所者のほとんどが園名を名乗ったが、「何も悪いことはしていないから本名のままでいい」と通した。「ここでは3分の1以上が90代で超高齢。私は77歳ですが、喜寿で若手です」と言って笑う。

両園の概要
両園の概要

長島全体を残すために

 将来構想では両園とも「長島全体を残す」ことで一致している。長島愛生園歴史館の主任学芸員、田村朋久氏は20年間この課題に取組む一人だ。田村氏は「一番大切にしたいのは入所者の気持ち」と述べる。同館は2千点に及ぶ作品や道具を入所者の「生きた証」として収集している。建物やランドスケープもまとめて残すにはどうすればよいのか。課題は財源だ。療養所は厚生労働省医政局の管轄なので入所者のケアは十分できるが、建物の保守には手が回らない。そこで2012年に地域の遺産として残す案が持ち上がった。「厚労省の資金援助が不可欠で、そのためには地域社会の要望が前提になります。」「らい予防法」に対する違憲国家賠償請求訴訟の時には、世論の後押しが国を動かした。今回の保存についても同様の戦略をとることにし、大きな旗に「世界遺産」を掲げたのである。すると、社会学や医療福祉等直接ハンセン病問題に関わる研究者以外の人々に世界遺産という言葉が届きはじめたという。「例えば東京大学や神戸芸術工科大学は、建造物やランドスケープを残す研究活動を進めてくれています。我々が意図しなかったところに興味を持ってもらい残すための研究が進む、これは有難いことです。」

 

 並行して多くの人々に来てもらうために、「人権学習の場」としての療養所を全国にアピールしている。窓口となるのは教育委員会や行政担当者、各県毎にある修学旅行誘致推進協議会等だ。「最近の修学旅行は学習を入れる必要がある」と田村氏。「広島県には平和学習が、兵庫県には震災学習がありますが、岡山県にはありません。ハンセン病問題が修学旅行を誘致する起爆剤になるのではないかと、全国の学校にプロモーション活動を展開中です。」徐々に実を結びつつあり、取材当日も高等学校の女生徒100人ほどがバス3台で訪れていた。「地域住民にとって、療養所のイメージはよくありませんでした。今後は大勢の人に活用してもらい、プラスのイメージに転換したいですね。」

将来構想の概要

 2009年施行の「ハンセン病問題基本法」を受け、翌年に「ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会・岡山」(すすめる会)が発足した。現在は瀬戸内市長を会長に、両園入所者自治会、瀬戸内市、岡山県、ハンセン病国賠訴訟瀬戸内弁護団、岡山県医療ソーシャルワーカー協会、労働組合等で構成され、事務局は瀬戸内市市民課に設置されている。将来構想は、入所者の終生にわたる生活保障や施設利用のあり方、療養所の地域開放に係る基本的な考え方をまとめたもので、①~⑩が両園に共通するテーマとして掲げられた。

➡ハンセン病療養所の将来構想とまちづくり④へ



公式サイト


事業サイト


健康都市連合



ヘルシーパートナーズ協賛企業