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地方自治体のデータヘルス

 厚生労働省が実施した2017年度「患者調査」によると、生活習慣病の患者数が1785万5千人と全体の55%を占め、その医療費は10兆4297億円と医療費全体の34.6%に上ることが明らかになった。特にがん対策では生活習慣病の予防が期待されているが、地域格差や医療費の適正化が課題となっている。本稿では各界の識者をお招きし、データヘルスの活用を中心にがん対策について座談会(千葉光行司会)を行った。

座談会のメンバー

垣添 忠生 (かきぞえ ただお)氏:国立がんセンター名誉総長、公益財団法人日本対がん協会会長

秋山 浩保(あきやま ひろやす)氏:千葉県柏市長

山本 拓真(やまもと たくま)氏:株式会社カナミックネットワーク代表取締役社長

千葉 光行(ちば みつゆき):認定NPO法人健康都市活動支援機構理事長

自治体によるがん対策の課題

千葉 光行
千葉 光行

千葉:生活習慣病関連の医療費で最も高額なのが3兆7千67憶円のがんであり、死因の調査でも37万3547人と最多です。早期発見のため、自治体が実施する検診の受診率を全がん種において50%に向上させる目標が「健康日本21(第二次)」で設定されました。しかし、2016年の「国民生活基礎調査」の男女別がん検診受診率(40~69歳)を見ると、目標を辛うじて上回っているのは、男性の肺がん検診の51%だけでした。

 

こうした状況の下で実施した当機構による42自治体への調査では、がん検診の受診率が自治体間でかなり差があることがわかりました。また、自治体では「受診しない理由の分析」や「有効な受診勧奨の検討」が課題であるという意見が85%に上りました。まずは、がん検診の受診率向上について意見をお願いします。

秋山 浩保氏
秋山 浩保氏

秋山:自治体の役割は市民の意識改善や行動変容を促し受診に導くことです。目標に向かい戦略を立て組織的に取組まねばなりません。「何が最も効果的なのか」「受診しない理由は何か」をよく分析し、阻害要因を取り除く方策を見出し、試行錯誤を重ねれば実績は上がるはずです。ところがやり切れていないのが実情です。改善するには有識者の意見や先進自治体の好事例を参考にすることと、首長が医療・保健施策の重要課題であることを強く認識して取組む必要があります。

垣添 忠生氏
垣添 忠生氏

垣添:受診率の目標50%を達成できない理由の一つが「甘え」です。国民皆保険制度があるため、「病気になってから病院にいけばよい」という意識があるのです。そうした人々にとって「がんは怖い病気」という認識はあっても、行動変容にはつながりにくい。そこにどうアプローチすべきかが大きな課題です。

 

がんの医療費は深刻な課題です。がん免疫療法のオプジーボやCAR-T(カーティー)細胞療法(※注1)等の新しい治療方法が導入されており、それ自体は医療の進歩として喜ばしいのですが、一方で医療費の高騰を招いています。これが続くと世界に誇る国民皆保険制度が崩壊するのではないかという懸念さえあります。なるべく国民医療費を上げずにがんに対処するには、予防と検診に取組むことが大切です。「煙草を吸わない」「生活習慣に注意を払う」「感染症に関係するがんはワクチンを打つ」ことで3割程度がんを防げます。それでも罹患する人には早期発見により90%以上治癒できるので、検診は特に重要です。

山本 拓真氏
山本 拓真氏

山本:「今すぐできる受診向上施策ハンドブック(第2版)」(2019年厚生労働省発行)に興味深い記述があります。特定健診受診時の問診票の回答を解析し、不定期受診者を4タイプに分類しタイプ別に受診を勧奨するメッセージを送ったところ、受診率の向上が実証されたというのです。こうした分類は人工知能技術(AI)の得意分野で、体系化された教師データをインプットすれば、大量のデータを瞬時に分類・解析し、がん検診の受診対象者ひとり一人の実情に応じた心に響くメッセージを自動的に作成してくれます。AIを情報通信技術(ICT)に組込めば人の労力を大幅に削減できるし、そこに人の英知を融合させれば効果的な受診勧奨を実施することができます。

 

千葉:ノウハウの継承では、自治体の職員が2~5年で異動するため、受診率向上を始めとする業務がうまく引き継がれていません。また、受診勧奨から検診実施、結果通知といった一連の業務を担当する自治体内の部署が異なっています。さらに、業務委託する複数の外部組織との調整の難しさもあるのではないでしょうか?

 

 

秋山:確かに、組織としてノウハウを蓄積できる体制づくりを検討しなければなりません。業務委託については、丸投げしない適切な管理の徹底と、一般事務職と専門職の連携の充実も必要です。

受診率向上のツールと取組み

千葉:がん検診の受診率向上は、全国自治体の共通課題と言えるでしょう。その方策として、受診勧奨から検診受付、検診実施、検診結果の通知といった業務処理にICTを活用することについてはいかがでしょうか?

 

山本:受診勧奨や検診受付等業務処理をICTで処理する場合、人とICTの得意領域を分ける必要があります。AIは天才ではありません。質の良い優れた教師データがなければ、同じ失敗を繰返してしまう。ノウハウを優れた教師データとして体系化するのは人の役割です。日本には国民皆保険制度の下、レセプト情報・特定健診等情報データベース(NDB)等のビッグデータがあります。ICTの活用では、世界のどこよりも効果的で優れたデータヘルスの環境を構築できるチャンスがあると思います。

 

垣添:当協会は全国46のグループ支部と協力して、胃、大腸、肺、乳房、子宮頸等のがん検診を行っています。全国で年間1100万人前後のがん検診を行い、1万3千~4千人のがんを新たに発見する等、国内で最も精度管理が行き届いたがん検診を行っています。発足以来、受診者は延べ3億8千万人以上に上りました。住民検診の実施機関としては国内最大の規模です。

 

検診受診率向上に向けたツールもインタビュー調査や行動科学に基づき作成し、全国の自治体に無料提供しており、結果、多くが受診率向上を果たしています。受診勧奨ハガキでは、行政は「書き落としてはいけない」と目一杯記述してしまいがちですが、一目で内容が伝わらないと往々にしてゴミ箱行きになってしまう。「この検診を受けなければ損をする」といった損得勘定に訴求することで、受診率を10%アップさせた事例も報告されています。ナッジ理論等の行動経済学(※注2)を用いて「検診を受けに行こう」という気にさせる工夫が大事です。

 

秋山:実証された事例を徹底する上で欠かせないのが財源です。自治体は、国の交付税措置で補助されていますが、受診率向上に伴う費用増加への補填は今の制度では見込めません。短期の財政だけで見ると、受診率が上がるとまるまる財政負担となり、ゼロサムの中で他の予算を削らねばならなくなる。50%の目標を交付税ではなく、人数に比例した補助金にしていただきたいのが本音です。そして、現場のブレークスルーは、責任者や担当者の熱意と行動力にかかっています。それを何年も積重ねて試行錯誤し、じわじわ数字を上げていく。一つひとつの事例にウルトラCはありません。

 

垣添:事業には財源が不可欠であり、自治体の財政に過度な負担がかかると取組まなくなるのは当然です。費用対効果に優れたシステムを共有する仕組みが求められます。

 

がん検診では精密検査の課題もあります。例えば大腸がんでは最初に便の潜血反応をします。簡単な検査なので、7~8割の人が受けるのですが、問題は陽性反応が出た後の再検査です。内視鏡検査は辛いという誤解が広がっているため、精検受診率が7割を切っています。がんの深さが粘膜下層より深い進行大腸がんは、精密検査を受けなかった人に生じる可能性があります。

 

対策として、陽性反応が出た被験者に対して血液検査(リキッド・バイオプシー※注3)を入れる方法があります。結果、がんの疑いが強まれば必ず内視鏡検査を受けてもらうことで、大腸がんの発見率が上がるはずです。他にも、血液中の遺伝子の変化を調べることでがんの有無を高い確率で予測する方法もあります。

 

「血液一滴でがんを診断する」という話がありますが、がんが発生した臓器を明らかにすることが重要です。そうしなければ、被検者に不安だけを与えてしまう。何のがんなのか、CTやMRIやエコーで描出する必要があります。実証試験は被験者の心理を酌みこむことが不可欠です。そこで有効性が実証され、初めて全国に向けて実用化されるのです。

 

千葉:2018年の「通信利用動向調査」によると、インターネットの普及率が約80%に上っています。自治体によるがん検診の勧奨や検診の申し込みは、このツールが有力になるのではないでしょうか?

 

山本:広告業界ではテレビや新聞などのマス媒体に代わり、インターネットが台頭しています。利用者の志向や属性を絞り込むターゲティングを少額の費用から始められるためです。最近、一部の自治体においてもインターネットを利用したがん検診の受診勧奨や受診申請を始めています。効果の有効性を検証する必要がありますが、インターネットが生活面でも日常的に利用されているため、十分期待できるでしょう。一方で、紙媒体にQRコードを印刷したデジタルとアナログの両方のメディアを併せて活用することも有効です。

 

デジタル技術の活用

千葉:WHOによると、発展途上国と先進国で共通する課題が非感染性疾患(NCDs)対策で、毎年30~69歳の1500万人もがNCDsで死亡しています。「NCDsに関するWHO世界会議」では、「NCDsに関するSDG目標3.4を達成するための政策」として「ロードマップ2018-2030」が示され、2030年までにNCDsによる早期死亡を予防や治療を通じて3分の1減少させ、精神保健および福祉を促進するとしています。

 

それには、「最も費用対効果が高く、手頃で、公平で、根拠に基づく介入を優先する」「非政府組織、民間団体及び学術機関等が様々なレベルの政府の努力を補完し、SDG目標3.4の達成を支援する参加機会を増加させる」等が必要であると掲げています。さらに第71回世界保健総会(WHA)では、SDGsの目標3の達成に向けた手段に「デジタル技術の活用」が決議されました。

 

当機構にとってもNCDs対策は重要課題であり、「デジタル技術」の活用に着目して安価で効果のある保健システムを自治体間で共同利用できる計画を進めています。

 

そこで注目するのがわが国の「マイナポータル」(※注4)です。2021年3月から新たに利用できるサービスでは、がん検診や健康診査、薬剤、医療費等に関する保健情報の閲覧が可能になります。これは既存の保健システムの統合を加速させる意義のある社会基盤です。

 

来年3月には、マイナンバーカードが健康保険証として利用され、マイナポータルも充実されますが、その活用についての意見はいかがでしょうか?

 

秋山:まずは市民がマイナポータルをNCDs対策に利用する前提として、マイナンバーカードの取得率を上げねばならないのですが、2020年2月時点で1910万枚と総人口に対する交付率は15%に止まっています。柏市は全国平均より若干上回る16.4%です。とはいえ、普及後のメリットは多大です。マイナンバーカードと連携したスマートフォンで薬剤情報や経年の健康診査結果、がん検診結果を閲覧して住民が自分の健康データを管理できるようになることや医師が診察や治療に役立てることは意義があると思います。

 

垣添:個人の健康情報が集約されれば、がん検診受診率を含めた全データを一元管理できるだけでなく、例えばワクチンの摂取歴が不明になる事態など無くなります。国民レベルでは膨大なデータを解析できるため、その効果は計り知れません。マイナポータルの普及は極めて重要です。

 

山本:マイナンバーカードやマイナポータルと同様の仕組みで世界中が注目するのがバルト3国の一つエストニアが2002年に発行したeIDカードとデータ連携基盤(X-ROAD)です。人口約132万人の国民のほぼ全員がeIDカードを所有し、電子署名から投票、納税、医療記録の確認から処方箋等の手続きをインターネットで行っています。

 

一方、わが国の政府が構築したマイナンバーカードとマイナポータルの本格的な利用はこれからですが、技術的に非常に優れ、情報セキュリティ面で信頼性が高く、操作性にも優れています。さらに利用範囲が広くて取扱い件数も格段に多い規模のデータ量を正確かつ迅速に処理する能力を有しています。この世界屈指とも言われている高度なデータ連携基盤をわが国が保健システムとして本格利用できる2021年3月が間近に迫っています。

 

また、民間でもスマートフォンを利用した歩数計や体重、心拍数、血圧等を測定するPHR(パーソナル・ヘルスレコード)アプリの利用が盛況です。今後、その計測データをマイナポータルの検診データ等と統合させ、保健や医療従事者が利用して、NSDs対策に役立てることができます。

 

秋山:日本のNCDs対策のノウハウや技術力は卓越していると思います。課題は、組織内部におけるタテの連携を充実させることと、外部の組織間、産官学民とのヨコの連携を充実させることです。その課題克服の一歩として、SDGsの目標3を達成できるよう健康都市連合の自治体が率先して産官学民による協働推進の役割を担うべきだと思います。

 

垣添:WHOがNCDs対策をSDGsに含めたのは当然です。当協会としても全面的に協力していきます。NCDs対策がマイナポータルと連携すれば、日本は世界の健康大国の模範として注目されるに違いありません。

 

 千葉:本日は、大変貴重なご意見をいただき有難うございました。今後、自治体の皆さまのがん対策に役立てていただけるよう働きかけてまいります。

※1   オプジーボ

抗がん剤の商品名。がん細胞による免疫機能への抑制を阻害し、免疫機能のがん細胞への攻撃を活性化する働きを持つ。

   CAR-T(カーティー)細胞療法

通常の免疫機能だけでは完全に死滅させることが難しい難治性のがんに対する治療法。

※2    行動経済学

ホモ・エコノミクス(自己の経済利益を極大化させることを唯一の行動基準として行動する人間の類型)を前提とせず、人間の心理的、感情的側面の現実に即した分析を行う経済学。

 ナッジ理論

選択肢を制限せずに人の行動を誘導する方法。

※3リキッド・バイオプシー

腫瘍ができたときに血液中に分泌されることがあるたんぱく質や遺伝子等を捕捉する方法。

※4  マイナポータル

政府が運用するオンラインサービス。子育てに関する行政手続き、各種情報の記録の確認、行政機関が所有する個人情報の確認等ができる。



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