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ハンセン病療養所の将来構想とまちづくり⑦ 特別養護老人ホーム「せとの夢」

 邑久光明園の敷地に特別養護老人ホーム「せとの夢」がオープンして3年半が経過した。開設までの経緯や施設の特徴は何か、住民との交流はどこまで進んでいるのか。同ホームを運営する社会福祉法人愛あい会の前田計子(かずこ)理事長にお話を伺った。 

前田計子理事長とご主人の医療法人社団純心会前田隆史理事長
前田計子理事長とご主人の医療法人社団純心会前田隆史理事長

事業者選定までの経緯

 前田理事長は「ハンセン病を初めて意識したのは、神戸大学医学部時代に神谷美恵子先生の講演を聞いた時」と回想する。神谷氏は岡山県出身の精神科医、著述家で、神戸女学院大に勤務する傍ら長島愛生園で医療活動に従事していた。「当時、ハンセン病の治療は確立していましたが、精神疾患を患う患者が少なくありませんでした。患者と生活をともにしながら愛情を傾けた姿勢に感銘を受けたのです。」その後、小児科医としての病院勤務から開業に至る多忙な日々の中、青春の想いはすっかり薄れてしまったという。

 

 介護分野にも専念するようになり、事業所を増やしていた2013年初旬に邑久光明園内での公募に応募することになった。応募説明会で報道陣に囲まれたことで「普通の特養を建てるのとはちょっと違うのかな」と感じたという。現地説明会で目を奪われたのが風景だ。「まるで東山魁夷の絵のように水面に山の樹々が映り、こんなに美しい風景がこの世に存在するのかと思いました。」プレゼンテーションでは、福祉施設での経験や実績をアピールした。さらに地域との交流を育むアイデアを一生懸命プレゼンした結果、事業者に選定された。

邑久光明園入所者たちとの交流

 そこから自治会の屋会長や山本副会長、同園入所者たちとの付き合いが始まる。「なんて穏やかな人柄なのだろうと思いました。手が不自由な人も期待を込めて私の手を握ってくれました。主人とともに会食をしたり、同園の宿泊施設に泊めてもらったこともあります。」暖かく迎えられ、順風満帆な滑り出しという気持ちになっていた。

 

 自分の立場を自覚するようになったのは、ハンセン病問題のドキュメンタリー映画や『語り部』の本を通してです」と前田理事長。医学的には学んでいたが、隔離政策による人権侵害や社会差別はあまり意識していなかった。「今の自分だったら、意気揚々と公募に応募できただろうか?」「これからどうやってお付き合いすればよいのだろうか?」と考え込むようになってしまった。思い悩む一方で、同園の入所者たちは相変わらず明るく接してくれた。いつも楽しく冗談を言って過去の苦労はまったく感じさせない。「他人を暗くさせないように気を遣うとともに、自分たちの心に『幸せ』を見出しているからなのだろうと勝手に解釈し、人生の先輩や友人としてお付き合いいただこうと思いました。」

施設づくりと地域開放

 2016年2月、「せとの夢」は完成した。両方向から瀬戸内海を一望できる立地で、ベランダからは山海の借景が楽しめる。「行政に無理を言って小豆島側の竹やぶを透かしてもらい、1階からも景観を楽しめるようにしました。」

庭には四季折々の花の咲く樹々を植え、草花を咲かせ、水の流れを楽しめるようにした。地域交流の場として、2階の居間には暖炉を設備しゆったりした家具を配置。3階の居間は地域風土を取り入れ、杉板を貼って土壁を塗ることで温かみを出した。

特別養護老人ホームせとの夢外観
特別養護老人ホームせとの夢外観
10人ワンユニットの食堂・リビング
10人ワンユニットの食堂・リビング
イングリッシュガーデン
イングリッシュガーデン

セミパブリックスペース
セミパブリックスペース
2階の地域交流スペース
2階の地域交流スペース

 初めての入所者を迎えた時のこと、屋会長をはじめ10名以上の光明園の入所者が出迎えてくれた。そして「もうここへ来たからには大丈夫やで。安心しいや」と励ましてくれたのだ。「『本当に光明園の方たちは体が不自由になったお年寄りを優しく迎えてくれるんだ』と安心しました。」当初はなかなか入所者が増えなかったが、お互い行事への参加は欠かさなかった。「いつも笑顔で接してくれたことにどれほど救われたのか計り知れません。」地域の人々にも助けられ、さまざまな団体が見学に来るようになるにつれ、入所者は増えていった。現在、同ホームは満床だ。交流目的では、駐車場で桜まつりと紅葉まつりを300人規模で開催している。屋内では地域交流センターでのクリスマス会だ。入所者や家族、職員、光明園の入所者、地域住民、瀬戸内市からのボランティアが集う地域の一大イベントになっている。

夢花見
夢花見
クリスマス会
クリスマス会

「せとの夢」に託した想い

 前田理事長は「特養としての役割のほかに、果たさねばならない夢がある」と語る。初めて屋会長に会った時のこと、ふと口にした言葉にそれを感じたという。「私らが居なくなってしもうたら、納骨堂にお花を手向ける人がいなくなる。お花だけは絶やしたくない。それだけ守ってくれたらいい」と呟いたのだ。「『同輩たちの霊をいつまでも奇麗な花で鎮魂してあげたい、この島の歴史を葬りたくない』という希望だと思いました。それが屋会長や光明園の人々の夢だと思い、ホームの名称を『せとの夢』にしました。『せとの夢』には納骨堂の献花を継承する意味が込められているのです。」



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